6月10日(日)。
朝、姉からメールがありました。
珍しいなーと思って見てみると、親戚の訃報。
義理のいとこっていう遠いところではあるんですが、小学校の頃には家に1週間泊めてもらったこともあるお世話になった人です。
芸能関係の仕事をしていた人で、私が20代前半に音楽でプロを目指している時に話を聞いてもらうこともありました。

60代前半での他界。
今となっては亡くなるのに早い年齢・・・何か重い病気でもあったのかな?と思っていた矢先に事故死したことを聞いてしまい、さらに気分は落ち込みました。

13日の通夜が近づくにつれ、「家族はとっても悲しんでいるんだろう」とか「顔見たらもっと悲しくなるんだろうな」とか、生前の想い出が頭が浮かんだりで頭がいっぱいでした。
一人暮らしはこういうときに辛いです。とにかく、一人でいるのが辛い日々でした。

そして通夜当日・・・

仕事を定時で切り上げ、1時間半かけて斎場へ。
顔の広い人でしたから祭壇には50以上の方から花が送られ、弔問者はたくさん来ていました。
私は通夜で亡くなった方の顔を見に行けませんでした。
悲しいから・・・と簡単に片付けられる感情ではなく、ただ「明日はしっかり顔を見て、ちゃんとお別れをしよう」と思っていました。

その日は少し手伝いをして実家まで車を運転して帰り、少し母と話しました。
自分より若い人が亡くなってしまい、すっかり弱気になっている母。2年前に癌の手術をしているので「自分も来年までもつかわからない」と不安がっていました。

翌朝、父の運転で告別式へ。
車の中で母が同乗者と故人の思い出話をしていました。

母 「こないだうちに来てね。定年になったんだから今度ゆっくり遊びに来なさいって話していたのよね・・・・。」

この言葉が私の胸に刺さりました。
多忙な方でしたが羽田が大好きで、お祭りとか正月とかには必ず少しの間だけでも顔を出してくれていました。
お酒が大好きな人だったのに、思い出してみるとゆっくり一緒に飲んだことがありません。
時間が出来たから、今度はうちにゆっくり遊びに来れたかもしれないのに・・・・と思うと残念で仕方ありませんでした。

告別式は初七日の供養も同時に行われ、その後にお別れの儀式へ。
棺桶の中にお花を入れてお別れをしますが、この時にようやく顔を見ることが出来ました。

今に起きて「おう!ノリ!」って声掛けてくれそうなくらいキレイな顔で、「死んでるのなんて嘘でしょ?」と思いながらも、胸の辺りにお花を添えました。

何でこんなになっちゃったんだよ・・・

これからたくさん話したかったよ・・・・

常に泣き崩れる実の姉妹、今まで気丈に振舞っていた喪主の長男も別れの挨拶では涙をこらえられず言葉に詰まるばかりでした。

お父さんもういなくなっちゃうんだもんな・・・

俺よりも年下なのに良く頑張ってるな・・・

それでもしっかりと挨拶を終え、遺体は火葬場へ運ばれました。
これで本当に最後。心の中で「ありがとう」と何度もつぶやいて、お見送りしました。
納骨の際には「本当にいなくなっちゃった」といった脱力感を感じました。

「順番を守る」というのは当たり前のことかもしれませんが、一番守らなきゃいけないのは「死の順番」だと思います。
突然死んでしまったり、若くして死んでしまうと周りはとても悲しみます。
私はそういう人を何人か見てきました。
まだ小さい子供を残して死んでいった従兄弟、朝家の前で元気に挨拶したと思ったら夕方に突然心臓発作で亡くなった叔父さん。どちらのお葬式もとても悲しいお葬式でした。

それに反してある程度の時間を闘病してなくなっていく方や、老衰で大往生を迎えられる方のお葬式は温かいものもあります。
以前働いていた会社の社長のお父さんがなくなった時は90を超えていたことや、余命よりも長く生きられたこともあり、周りは和やかな雰囲気でした。きっと、皆心の準備が出来ていたのでしょう。

故人は明るく朗らかな、優しい人でした。
そんな父のことを良くわかっている長男はお別れの言葉で「皆さまこれから、普通にごはんを食べて、お酒を飲んで・・・父はそれが一番嬉しい思います。」と言ってくれました。

私はその言葉に少し助けられました。
式が最後に余ったお花をプレゼントしてくれました。今までもらったこと無いんですが、今回からは自分からすすんでもらいに行きました。
母が「この花が枯れるまでは、亡くなった方があなたの家にいてくれるね。」と言ってくれ大事にしようと思いました。

今日はこれからこの花をテーブルに飾って、故人を思い出しながら一緒に飲めなかったお酒を飲もうと思います。

明日は、自分のライブがあるし。そろそろ元気を出さなくちゃ。

天国に届くよう、気持ちを込めて演奏します!